Concept
私たちの研究室では、植物ホルモンを中心とした植物体内の微量生理活性物質の化学的・生物学的な研究を行っています。具体的にはジベレリン、ブラシノステロイドやオーキシン、カロテノイドから派生してくるアブシシン酸やストリゴラクトンを研究対象としていますが、未知の新しい植物ホルモンの探索とその機能の解明研究も行っています。
特にジベレリンに関しては、第二次世界大戦前から世界をリードする化学的研究を続けてきましたが、最近ではジベレリンの受容体解明に我々の生化学的研究の成果が大きな役割を果たしました。
我々はこれまで培ってきた化学と生物学の成果を背景に、植物体に微量に存在する機能物質の活性発現機構の解明を目指しており、そのために分子生物学的な手法だけでなく化学的な手法も併せて用いています。以下実際にどのような方法で研究を行っているのかを説明します。
例えば、まだ研究が十分に行われていない新しい植物ホルモン候補物質を想定してみることにします。その物質の生体中の機能を明らかにするには、その物質の内生量を自在に制御することが重要です。そのための手段として化学的制御法(生合成や受容体や情報伝達の阻害剤の有機合成化学的創製)の開発と併せて分子生物学的制御法(生合成・情報伝達遺伝子の過剰発現体やノックアウト体)の利用・開発を行います。
これらの手法を駆使し、内生量の低下した植物を観察することにより、植物ホルモン候補物質の新しい機能を解明することができます。また開発した合成化合物を遺伝学に応用することにより、植物ホルモン候補物質の生合成経路、受容体、情報伝達因子を明らかにすることができます。このように『制御法の開発』から研究を行っています。
実際の研究例として、ブラシノステロイド生合成阻害剤が挙げられます。ブラシノステロイド生合成阻害剤は成長に必要な植物体中のブラシノステロイド内生量を減少させることにより、植物を矮化させますが、この結果は植物の成長にブラシノステロイドが重要であるという事実を示しています。つまりブラシノステロイド生合成阻害剤であるBrzを処理した結果植物体に起きる変化を観察することにより、植物におけるブラシノステロイドの機能を知ることが出来るわけです。
実際にブラシノステロイド生合成阻害剤を利用することにより、アサガオの花の成長や綿の繊維発達にブラシノステロイドが重要であることが明らかになりました。また一方、化学遺伝に応用することによりブラシノステロイド情報伝達経路で機能する新しい転写因子の発見にも役立ちました。もちろん、開発した薬剤については実際面への応用も視野に入れています。このような方法論は、化学から生物学にわたる広汎な知識と技術が必要とされます。
このような方法は一見遠回りのようですが『制御法の開発』から行うことにより世界的にユニークな研究体制で新しい成果を挙げることができます。化学物質を用いた生物学の研究はケミカルバイオロジー研究と呼ばれていますが、我々の研究はこのケミカルバイオロジーを含み、化学的観点から生命現象を解明することを目指しています。また我々の研究室では、開発した化学的方法、分子生物学的法法をサイエンスだけでなく農業へと応用することも意図しています。
以上の成果を推進するため、私たちの研究室では
- 生理活性物質の単離・構造解析(天然物化学)
- 生理活性物質の全合成と誘導体化(合成化学)
- 生理活性物質の機能制御剤の探索と創製(化合物スクリーニング・合成化学)
- 化合物の機能解明(植物生理学)
- 化合物の機能発現機構の解明(分子生物学)
- 化合物感受性・非感受性変異体の探索とその原因遺伝子の解明(化学遺伝学)
といった項目に取り組んで実験を行っています。
そして最終的には下の図に示した「遺伝子と化合物を用いた総合的農業技術の開発」を目指しています。
さて、現在の食糧安定供給には農薬が必須ですが、機械化や灌漑等と比較して投下エネルギーが格段に小さいこともあり、今後も有用な農業資材として使用されることが予測されます。ただしこれまでの農薬は食糧の生産に不必要な生物(雑草、害虫、病原菌)を生産の場から取り除くということが主眼となっており、植物が有する機能そのものを利用して食糧増産に結びつける化合物の開発は積極的に行われきませんでした。
しかし、植物が本来もっている機能を制御して作物価値を高めることができるようなタイプの農薬である植物成長調節剤は、現在の市場は小さいものの先進国型農業では今後さらに発展が期待できる分野と予想しています。現在でも植物ホルモン機能を利用した倒伏防止剤や果樹の色付き促進剤等多様な化合物が商品化されていますが、今後新しい植物ホルモンの発見やそれらの生合成系や情報伝達系の解明に伴い、多くの植物生長調節剤候補化合物の発見・創製が可能になり、さらにそのような化合物を利用するために従来の使用法だけでなく新しい知見を用いた利用法の開発も必要になってくるでしょう。
化学物質による生産能力や商品性の上昇は20世紀の農業を大きく変貌させましたが、20世紀末から21世紀の農業を大きく変貌させつつあるのが遺伝子組換え技術の農業への応用です。現在生産されている遺伝子組換え作物は除草剤耐性遺伝子や殺虫性タンパク質遺伝子が高発現状態になるような性質を持っていることが大きな特徴ですが、今後は環境ストレス耐性を高めた作物が市場に現れ、非耕地の耕地化が可能になると予想されています。食糧事情や経済状況を考慮すると組換え作物栽培面積の増加傾向は今後も続き、安定した食糧やエネルギーの供給に不可欠な技術となるでしょう。しかし遺伝子の組換え作物だけで作物の減収要因が全て解消できるわけでなく、耕地面積の増加に伴う農薬や植物生長調節剤の重要性がますます高まってくるはずです。
このような状況下、東京大学大学院の生物制御化学研究室では多くの研究者・機関と共同研究を行い、植物保護や植物強化を薬剤のみ、遺伝子のみで行うのではなく各々の長所を伸ばし欠点を補いあうような作物栽培法を目指した基礎研究に取り組んでいます。図に概要を示しました。特に植物ホルモンに着目し、その制御剤の開発と応用を行い植物成長制御剤としての可能性を検討するとともに、ケミカルバイオロジー研究の一環として開発した制御剤を応用した新しい遺伝子探索と機能解明を行い、それら遺伝子を食糧やエネルギーの安定生産に応用するだけでなく、制御剤や遺伝子を同時に利用することを視野にいれた研究を行っていきます。